自分が育てられている

育児は自分育てなんだと耳にします。でも、この1年半はそんな事を意識できた事はなくふにゃふにゃの我が子を毎日生かす事だけで精一杯でした。

しかし、最近の私は以前の記事に書いた通り育児は自分育てだと感じるようになりました。

なぜか?それは子育てをしているとしていなかった頃には隠れていた自分の内面がさらけ出されていると感じたからです。

息子はもうすぐ1歳半。約1年前を振り返るとマットに転がり近くのおもちゃに手を伸ばすのが自分の意志で動ける行動範囲でした。

現在の彼は家中はもちろん外でも縦横無尽に歩き回りソファーや机に登るのは朝飯前。

引き出しを引っ掻き回し中の物を全部だしては満足して別の気になる何かを探しに探索活動。まさに己の欲にしたがって楽しく生きています。

それは、全く良いのです。健全な成長で喜ばしい事です。安全さえ確保されていれば好きな事をみつけ没頭してもらいたい。

とは、思っているのですが、それを追いかける私は現在、ありがたい事に第二子を授かっておりこの身体が思っていた以上に中々大変でした。

妊娠8ヶ月を過ぎた頃から身体がとにかく重すぎるのです。オムツ1つ履くのにもにこにこと笑顔で逃走する彼を追いかける気力は今の私にはありません。

台所には洗い物が残っている、やりたい事が全く進まない。ああ、私に彼が望む追いかけっこをする元気があれば。気持ちはあるが身体が重くてついていかないのです。

心に余裕のある間は待つことができるのですが少しずつ積み重なる何かに耐えられなくなると許せていたものが許せなくなるわけです。

私がイライラするとなんとも面白い事に息子の機嫌も悪くなります。機嫌の治らない息子をみて私の機嫌も治らない、まさに悪循環の始まりです。

そして、イライラの矛先は夫へといくわけです。

そんな日は息子が寝静まった時間から自己嫌悪と反省会。でも同じ事をまた数日後または、早いと翌日繰り返すのです。

子どもが居なかった頃は、こんなイライラする事はなかったと思います。周りからも穏やかな性格の部類だと思われていたし、私も自分の気持ちを割と上手にコントロール出来ていたと思います。

それなのに、感情のコントロールが上手くいかない事がとても増えました。妊娠してホルモンバランスの乱れもあるのでしょうが。

それがなんだか自分的に悔しい。上手くストレス発散できれば良いのですが身体が重くてお出かけもすぐに疲れてしまうし、体重のコントロールが必要で甘い物も控えなくてはならない。それもまたストレス。

見たくない、知りたくなかった自分と対自する事が増えたのです。

それで、もしやこれが【育児は自分育て】という事なのかな?と思うようになりました。

この知りたくなかった見たくなかった自分を更に見ない振りをするのではなくこんな自分も居たのかと認めて改善したり上手く付き合っていったりする、イライラしてしまう第一感情は生まれてしまうけどその先の対応を変える意識をしてみる。

そうやって試行錯誤していく事の繰り返しで自分が育っていくのかもしれないなと感じたのです。

たとえ、亀のような歩みでも見ない振りをして同じ事を繰り返して自己嫌悪するよりは随分と健全です。

子育ては始まったばかりなのですから。

そういう風に思えると、オムツも履かずに嬉しそうに逃走する息子を見て、「自分が育つチャンスだ!」と思える事があったりします。(まだまだ始まったばかりなので心に余裕のある時だけですが、)

私は今、絶賛育っている。伸び代万歳の新米お母さんなのです。

 

 

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